+ USA, Mexico  2003.03
 大学2年の春休み、中学校時代の友人に誘われてアメリカ・メキシコに1ヶ月滞在した。この旅行は旅行という
は「滞在」に近い。というのも、中学時代の友人Tがメキシコ人と日本人のハーフで、アメリカとメキシコの色んな
町に親戚がいるので、そこを転々とするのが目的であったから。
 メキシコといえばスペイン語だが当然のようにTはスペイン語ペラペラやし、宿泊は親戚の家やし、今回は言葉
と宿の心配がないからラクやわー、と思っていたのが大間違い。これほどトラブルに満ち溢れた滞在は今まで
経験したことがない。

 まず出発からしてアセった。別の中学時代の友人Kと大阪空港で待ち合わせたが、彼はどういうわけか航空券
の出発時刻を読み間違えて、離陸15分前に空港にやってきた。成田までの国内線とはいえ、ギリギリすぎる。
アセる僕、のんびりしているK。なんとか事情を説明し、空港職員のおねーさんをを走らせてギリで間に合った。
 ちなみにこのK、数日前にバイクで事故ったとかで、右手の中指を骨折しギブスで固定してあった。つまり常に
中指が立った状態である。頼むから
アメリカ人とジャンケンしてグーを出さないで欲しい。
殺される可能性があるから。

 その後、また別の友人Rも成田で合流し、ロスに向けて飛び立つ。飛び立ったところで、先にロス入りしていた
Tと
特に待ち合わせ場所を決めていないことが判明。アセる僕、のんびりしているK、あまりよく
分かっていないR。
 結果的に何とか無事会うことができたが、こんないきあたりばったりでは先が思いやられるわ。

 
◇メキシコへ不法入国

 ロスではTのおじさんの家でお世話になり、Tのいとこのジョシュアとその友達たちとつるんで遊んでいた。
メキシコに行く前日の夜、ジョシュアが「メキシコとの国境付近までドライブしよう」と言った、らしい。らしいという
のは、Tから又聞きしたから。いいねーということで、車で一路南へ。ぐんぐん南へ。3時間ほど走っただろうか、
何やらゲートのようなものを通過した。

 僕:「なぁTよ、あのゲートは何だい?」

 T:「ああ、国境らしいよ」

 僕:「ふーん。・・・は?じゃここメキシコ?おれパスポート持ってきてないよ?」

 T:「大丈夫、俺も持ってないから」

 そう、普段は肌身離さず持っているはずのパスポートだが、おじさんの家という安心感もあり、まさか国境を超え
るとは思ってなかったので、置いてきたのである。

 これは非常事態だ。パスポートを持たずに入国するということはすなわちこれ不法入国。ていうか、出国の時は
一切のチェックがないアメリカのシステムをどうにかせえよ。

 ところがTもジョシュアも「大丈夫」と言い張るので、なんとなく大丈夫な気がしてきて、とりあえず国境の町
ティファナで夜遊びすることに。
 ひとしきり遊んだ後、さぁ帰るかということで夜中に再び国境へ。すると厳密なチェックあり。

 係員:「パスポートは?」

 僕:「あのー、免許証じゃダメっすか?」

 係員:「・・・こっちへこい」

 一緒に突破しようとしたTとKと3人で別室に連れて行かれ、激しい尋問にあう。といっても英語とスペイン語が
飛び交い、ワケわからんのでTに全てを託す。そして指紋を採取され、靴の中まで調べられて、しばらく待たされる
ことに。
 待たされている間に、スキンヘッドのお兄さんが後ろ手に手錠をかけられて連行されていく。

 ・・・これってヤバくないっすか?ついに
牢獄デビューっすか?牢獄にホモはいないんですか?
アセる僕、のんびりしているK、疲れきったT。

 待つこと数時間、ジョシュアの友達のケビンが(彼も拘留されてたようだが)説明に来てくれ、ようやく嫌疑は晴れ
た。だが、やはりパスポートなしでは入国させてもらえないらしい。
 そこで、僕らは入国スタンプをもらい、国境の町ティファナで待機することになった。幸いにも次の日にはティファ
ナから国内線でメキシコ第二の都市グアダラハラに飛ぶ予定だったので、僕ら全員の荷物をまとめておじさんが
ティファナまで持ってきてくれるらしい。

 こうして晴れて尋問室を出ると、もう朝日が顔を出していた。

 それからおじさんが来てくれるという夕方まで時間をつぶさなければいけないわけだが、とりあえずまだ金はあっ

たのでカフェで優雅に朝食、それからどーせヒマやし眠いので、そこで4時間ほど粘る。
 それからおじさんに電話したりなんだかんだしているうちに、金が無くなってきた。もう一度カフェにいってコーヒー
1杯で4時間粘る。
 カフェを出てベンチでぼーっとしていると、なんか銀行っぽいものを発見。狂喜乱舞して玄関に駆け寄ると、15時
までの営業。時計を見ると15時3分。全員で崩れ落ちる。
 その後、Kがポケットの中から小銭を発見。狂喜乱舞し、1個10円ほどのチュロス(揚げパン)を1人1個食って
あまりのうまさに涙を流す。

 それからは意識が朦朧としていてあまり覚えていないが、おじさんは3時間ほど遅れて夜に到着し、無事に空港
からグアダラハラに飛びたてましたとさ。いやー長い2日間だった。

 ちなみにジョシュアとRと別の友人Yは、僕らが別室に連れて行かれるのを見て引き返し、国境の金網を乗り越
えてアメリカ側に不法入国し、バスでロスまで帰ったらしい。たくましすぎ。

 
◇リゾート地カンクンで大暴れ

 カンクンというカリブ海沿いのリゾート地がある。リゾート地なだけあって物価が高いのであるが、高い金を払う
だけの価値のある海がそこにはある。完璧なエメラルドグリーンの海。押し寄せる波は、まるで生きたスライムの
大群のよう。空はどこまでも青く、砂浜はどこまでも白い。
 そんな海沿いのホテルに、Tのおじさんのコネで格安で泊まれることに。しかも、ホテル内の施設は利用し放題、
食べ放題飲み放題のゴールドリストバンド付き!こりゃあ浮かれるしかないってことで、浮かれまくってきました。

 とりあえずホテル内の食事を食べまくり、昼からコロナで乾杯し、夜はバーのテキーラのボトルをなくしてしまう
ほど飲み続け、調子に乗ってクラブに行こうと出発したところ、どこにクラブがあるか誰もわからんことに気づき
Uターン。ホテルに戻るやいなや3人が吐きちらかし、Rにいたっては廊下で吐く始末。

 なんかもうワケわからんほど贅沢な滞在をしたカンクン、実は暴れすぎてホテルのカギを2つも無くしていた
ので、最終日にみんなで大捜索。奇跡的に2つとも発見し、大満足のリゾートタイムでした。

 
◇オコナワ村の日々

 Tのおじいちゃんが村長であるオコナワ村。ここには合わせて1週間以上滞在した。
 歩いてすぐ回れるほど小さな村で、石造りの家と赤土のテキーラ畑に囲まれた、僕らの想像する「ザ・メキシコ
の田舎!」って感じ。時間が本当にゆっくりと流れており、人々の笑顔に癒された。

 Tの友達ってのはもちろんあるけど、彼らは無償の愛を提供してくれた。歓迎のビールと食事の数はハンパで
なく、常に酔っ払ってお腹いっぱい。彼らはこんな僕らに毎日毎晩付き合ってくれ、さらに日々の仕事もやってい
た。驚くべきは、この村では中学生から一人前と認められ、学校に行きながら仕事は手伝い、酒もタバコも車の
運転もOKなのである。
 国の管理が行き届いた結果、金銭的には裕福になったが精神的に病む人達がふえ伝統的な生活スタイルが
失われつつある日本と、地域の自治が今なお残り、金銭的には裕福でないかもしれないが村全体が家族のような
メキシコ。どちらが幸せなのか考えさせえられる滞在だった。

 それから、オコナワ村からグアダラハラに送ってもらう途中のトラックの荷台で見た星の美しさも忘れられない。


 ・・・他にもエピソードを挙げればキリがないアメリカ・メキシコの濃い日々。バックパック旅行とは大分違った
けど、本当に気の置ける友人たちとの滞在型旅行も楽しいなと思った。学生時代に再度みんなで訪れるという
約束は守れんかったけど、次にメキシコに行くときは必ずまたみんなに再会してお礼を言いたいな。


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