+ チベットA 波乱のヒマラヤ越え (2008.10.15-19)
 ラサを発った僕はチベット自治区第2の都市・シガツェへ。第2の都市にしては笑えるほど小さな規模だが、ここ
にも中国人民による移住が多々行われているようだ。小高い丘からシガツェの町全体を見下ろすと、新市街と
旧市街の違いがありありと見て取れる。新市街は鉄筋コンクリートで作られたきれいな建物たち。旧市街は何百年
と変わらないであろう土壁でできたボロボロの建物たち。そして、もはや新市街の面積のほうが旧市街の面積を
上回っているように見える。チベタンたちも新市街に移住しつつあるのだろうか。果たしてこの変化をチベタンたちは
どう受け止めているのか、気になるところだ。

 シガツェはタシルンポ寺という大きな寺がある。中国の観光名所は揃いも揃って入場料が高いため、ここは中に
は入らずに寺の周りを巡礼(コルラ)した。チベットの寺は必ず寺の周りをぐるりと歩けるようになっており、さらに
あわよくば
裏から寺の中に入れる。タシルンポ寺は中には入れんかったけど。
 この寺はかなり大きく、標高4,000m近いこともあってヒーヒー言いながらコルラした。最近、息が切れてない
ことのほうが少ない気がする。でも天気は最高だし、チベタンたちと同じペースでゆっくりゆっくりとコルラすると
チベットの青い空と荒涼とした山に囲まれて何とも幸せな気持ちになる。この現実感のない風景「あー旅してる
なー」という気持ちを強く思い起こさせる。

 日帰りでギャンツェという町にも行った。ここはあまり大きな町ではないが、バンコルチューデという仏塔を持つ
お寺で有名である。果たしてこの2週間で
どれだけ寺を参拝しただろうか?でもチベットの寺巡りは
もれなく大自然の風景がついてくるのが素晴らしい。

 バンコルチューデは、仏塔の中の仏像や仏画が非常に良い状態で残されていると聞いており楽しみにしていた
のだが、期待を裏切らない素晴らしいお寺だった。
 本堂は今までのお寺とさほど変わらないが、仏像の数は寺の規模にしてはかなり多いし、細工も凝っている
気がする。ちょうど昼休みだったのか、僧たちの上着だけが床の上に置かれ、観光客も含めてほとんど人がいな
かったので、ゆっくりと見て回ることができた。奥の部屋はいくつもの仏陀の像が並び、僧が一人瞑想していた。
静かに仏像を眺めていると、とても穏やかな気持ちになってくるから不思議だ。

 仏塔は円錐形で、一番上まで数えると8階ほどあるが、何故か一番上へは登れなかった。下の階ほど面積が
広く、円状の建物が小さな部屋に分けられ、それぞれ外から入れるようになっている。そしてそれぞれの部屋に
数百年前に作られた仏像が奉られ、壁は仏画に覆われているのである。それぞれの部屋が極彩色に彩られ、
なんとサイケデリックなことか!一部屋ずつ手抜きナシの緻密な仏像が暗闇にぼんやり現れる様子は、信心深く
ない僕でも思わず手抜きナシでお祈りして回ったほど。
 運よく観光客がほとんどおらず(一番暑い時間だったからかも)、独占して楽しめたこともあり、チベットのお寺
の中では一番好きな寺となった。

 さて、バンコルチューデを出て参道を町のほうに戻ってると、なんか見たことある二人組みを発見。なんと、ラサ
で同じドミだったケン兄とレオ君だった。彼らは僕よりちょっと前にラサを出て、自転車でカトマンズに向かっている
ツワモノ達である。といってもレオ君はチャリダーの経験はなく、ノリでラサにて別の旅行者から自転車を買った
若武者。彼らが出発した夜に彼の携帯に電話してみると、死にそうな声で「
もうダメっす」と言っていたので、
もはや諦めてバスで国境まで行ったんじゃないかと思っていたが、頑張って早いペースでやってきていた。
 チベタン茶館でお茶を飲み、ギャンツェ・ゾンという城跡に一緒に登ってギャンツェの町を一望する。ここもシガツェ
のように新市街の面積が大きくなりつつあることを実感できる。
 僕はシガツェに戻らないといけないため、暗くなる前に2人と別れる。「またカトマンズで!」と言って別れることが
できるのはとても嬉しいことだ。チャリで2週間かけてヒマラヤ越え、しかも見所は多いがアップダウンが多くキツい
南ルートを敢えて選んでの挑戦。このドMな人たちを心の底から尊敬します。もちろん、レオ君の名誉のためにも
ギャンツェに来る途中で
しんどすぎてバスを使ったということは黙っておかないと

 さて、翌日はいよいよ国境に向けて出発する日である。入るのにかなり苦労したチベットだが、出るのはどうかと
いうと、やっぱり多少ややこしい問題がある。国境の町・ダムまではシガツェからバスが出ているのだが、これが
外国人は売ってもらえないのである。そこで、シガツェのホテルのおばちゃんに頼んで代わりにチケットを買って
もらうという、入境時と同じ方法を使わなければならない。だが、実は全く同じルート・方法で1週間前にカトマンズ
に着いた友達がいたので、このやり方も聞いていたし実際チケットは問題なく代わりに買ってきてもらえた。おそらく
問題はないだろうが、一応念には念を入れてゴルムドから電車に乗った時と同じ目立たない格好をして早朝の
バスターミナルに赴く。なにげなく車掌にチケットを見せると・・・

 車掌:「ワイゴーレン マ?(外国人か?)」

 僕:「えっ?あーーー・・・ノー。」


 ・・・



 ノーって!外国人やんどう考えても!



 車掌:「外国人は乗せられないよ、帰れ帰れ」

 僕:「そんな殺生な!ほらチケットあるやん、チケット買えたってことは乗れるってことでしょ?」

 車掌:「無理無理、ある程度払い戻ししてやるから」

 僕:「いや、そこを何とか頼むよ!おれ明後日ビザ切れるのよ!検問があったら隠れるから、このトランクに!」

 こうして僕は
乗客に失笑されながらも必死で縮こまってトランクに入るマネまでしてみせたが、無情
にもこの車掌は「申し訳ないがルールだから」と頭カチカチなことをおっしゃった。
 どうやらこの車掌、マジだ。途中まで中国語だったが、実は英語も喋れたこの車掌。中国で英語を喋れる人に
会うことは稀である。

 車掌:「俺は昔政府機関で働いていたから、申し訳ないがどうしてもルールに反することはできない」


 なんと、まさか中国人から「I'm sorry」という言葉が聞けるとは!こいつ、マジで政府機関で働いていたのだろう
か。じゃあなんでこんな辺鄙なところでバスの車掌してるんだ?
 何にせよ、相手が真面目だと交渉が難しい。僕は30分ほど粘ったが遂に諦め、何とか8割ほどを払い戻しして
もらう。払い戻しにもかなり労力がいった。何しろ当日キャンセル扱いだ、普通なら良くて半額だろう。ここでも
ひとしきりモメたため、この狭いバスターミナルの職員中に僕の面は割れたはず。翌日またバスに挑戦したって
恐らく結果は一緒だろう。さて、どうする・・・?

 思い当たる方法はたった1つ。ラサに帰って、バスなりランクルなりを探すしかない。

 そうと決めると、10分後にはラサ行きのバスに飛び乗る。なにせビザは明後日まで、ぐずぐずしている暇はマジ
でない。こうして5時間後、愛しの町・ラサへ再び帰ってきた。
 まず降りたバスターミナルで聞き込み。どうもダム行きバスは別のバスターミナル発らしい。とりあえず以前宿泊
していたヤクホテルに舞い戻る。すると、なんとトルファンで会ったマサフミさんにバッタリ!彼は僕とは逆に西へ
向かったはずだが、チベットに入れるとの話を聞いてわざわざカシュガルから戻ってきたらしい。シガツェでバスに
乗れなかったというアクシデントで思いがけずラサに戻ったらこの再会。旅の神様がいるとすれば、イキな計らい
をしてくれたんだなと嬉しくなる。

 しかし喜んでいる暇はなく、これまた再会したI島さんにチャリを借り、ダム行きのバスが出るというバスターミナル
へ。しかし、受付のおばちゃんは全く話にならず、外国人はここでは買えないの一点張り。筆談で「ネパール大使館
の前に行けば何かがある」ことが分かったが、
何かって何だ?自分でもよく分からないまま、そのままチャリ
をぶっ飛ばしてネパール大使館前へ。しかし早朝から動き回っていたのに時はすでに夕方。ネパール大使館は
閉まっているし、前にはただ大きな道路があるのみ。
 途方に暮れてウロウロしていると、旅行会社っぽい看板を発見。この旅行会社、何か見たことあるな・・・そうだ、
以前韓国人の女の子が名詞を持っていた、ダム行きバスを運営しているという旅行会社だ!
 いやー、バスターミナルのおばちゃんはここのことを言っていたのかなー。我ながらラッキーだな、よく見つけられ
たよ・・・ま、
閉まってるけど(涙)

 一瞬もうムリかと思ったが、看板に電話番号が書かれてあるのを発見、それをメモり、とりあえずホテルに戻る。
そして受付のおねーちゃんに「お願いします助けてくだちゃーい(涙)」と懇願し、中国語でその番号に電話して
もらった。すると、バスはないが明日発のランクルに空きがあるとのこと!値段はバスの倍するが、この際金に
糸目はつけていられない。ビザの期限をすぎるともっと大きな罰金を払わされるはずである。

 何とかかんとか翌日の足を確保した僕は、再びラサにて同じドミの人たちと一大イベント「中華料理シェア」が
できたことに感動。中華料理は大人数のときにその真価を発揮するよね。
 そしてこの晩、いよいよ本当にラサでのラストナイトということで、以前チベタンに聞いていたクラブに行くことに。
その名もクラブ「BABILA」。B級都市クラブとしてはラサは外せないということで、男4人で繰り出した。
 実は以前、敦煌でクラブに行ったことがあるのだが、クラブというよりカラオケパブだったのでがっかりした思い出
があった。だが今回はなにしろチベット、チベタンたちが踊り狂っているのを見れるのかとテンション上げて行った
のだが・・・
 客はほとんど漢民族。グループで固まって楽しんでいるだけ、何の一体感もなし。音は時間帯によって変わり、
ヨツウチの時もあればHipHop、チャイニーズポップなときもあってどうしょうもない。HipHopのときはよくわからん男
が歌い始めるし、セクシーなお姉ちゃんによるヘソ出しダンスタイムはあるし、いきなりR&Bに変わってサックスを
吹き始めるし、もう何でもアリ。まさにB級都市クラブの期待を裏切らない、楽しい場所でした。二度といかねー。

 さて、翌日午前11時、予定通りランクルは出発。運転手含めて4人しか乗っておらず、快適。同乗者はみんな
チベタンだった。特にダーシーという青年は、英語もけっこう喋れて今風(?)のチベタンガイで、超いい奴。
カトマンズにはたまにビジネスで行くということだが、まる2日もかけてカトマンズまで行くとは・・・しかもこの
ランクルだってそんなに安くない。そうまでしてカトマンズにビジネスがあるとは思えないのだが、どういう仕事なの
か詳しくは聞かなかった。
 ランクルは順調に飛ばす。景色は最高、どこまでも青い空に荒涼とした山々。そしてその景色のまま、
8時間
経過
。チベット広すぎるよ、景色一緒やし。。景色は違うけど規模的にはモンゴルやロシアの電車の旅を思い
出させるなぁ。
 日没が近づき、いよいよ疲れてきたなーと思ったその時。遥か彼方に白い壁のようなものが見えた。まさか・・・
そう、ついにヒマラヤ山脈が姿を現した!日没ギリギリだったが、夕日に輝くヒマラヤを見れたことはラッキーだと
言えるだろう。
 いやーこれで1日の疲れも吹っ飛ぶ、ワケがない。いくらランクルが快適とはいえ体中が限界を感じている。
途中からは真っ暗で何も見えないが、どうやら道路は舗装されていないようだ、すさまじく揺れる。寝れない。足腰
が痛い。いい加減休ませてくれ・・・と思った夜中2時、ダムよりちょっと手前の町・ニャラムに到着。ボロボロの宿の
1室を借りてみんなベッドに倒れこむが、こんだけ疲れているのに寝れないほどの寒さ。ここは未だ標高4,000m
ほどあり、暖房設備など無いため凍え死ぬかと思うほど寒い。汚い毛布に包まり、全身をベッドにすり合わせて
何とか熱を作る。そうこうするうちに、いつの間にか眠りに落ちていた。人間大した生命力だ。

 翌日、ついにチベット脱出の日。朝早くから出発し、1時間半ほどでダムの入り口の検問に到着。これまでも
いくつか検問はあったが、別にパーミッションの有無などは問題にならなかった。ここも大丈夫でしょー。

 係員:「はい、パスポート見せて。あれ、日本人?パーミッションは?」

 僕:「え、いやーその、ラサではあったんですけどね、今はないですねー。」

 係員:「・・・」

 僕「・・・」

 係員:「パーミッションないとこの先はいけないよ、ラサに戻ってパーミッション取ってきなさい」

 僕「・・・はい?今からラサに戻れと?15時間かけて戻れと?ビザ明日で切れるのに?」

 係員:「規則だからね。ほら、早く戻った戻った」


 ・・・そして僕は声にならない声を出しながらその場にしゃがみこんだ。

 僕なんか、
最近超運悪くないっすか?こんな事態は完全に想定外なんですけど。

 僕:「頼みます、今から戻るなんてムリっす。もうネパールに抜けるだけじゃないですか、今日中にこの国から
消え去るからなんとか通してくださいよよよよよおおおおお(涙)」

 係員:「ダーメ。ほら戻った戻った」

 僕:「ムリ、戻れません!
ほら、体が地面にくっついて動きません!


 ・・・我ながら幼稚園児のような言い訳を並べているが、人間
追い詰められると幼児に退行する
ことが分かった。幼児とでも何とでも呼ぶがいい、このまま引き下がるよりは100倍マシだ。。

 こうして押し問答を繰り広げていると、ダーシーが何やら中国語で交渉してくれている。というかダーシーは
同じランクルなので、僕がどうにか動かないと先に進めない。
 僕は哀れみのこもった目で2人を交互に見上げながら泣きマネをしていたが、実際に半分泣いていた。

 すると、熱意が伝わったのか、「今回は特別だぞ」ということで通してくれた。やった、何とかなった!いやー
アセった、これで一件落着だわー。

 係員:「どうせイミグレで追い返されるけどな(捨て台詞風に)!」


 ・・・マジで?マジで言ってんすか?ていうか、あんた性格悪くない?

 何とか検問を切り抜けたが、不安は未だ付きまとう。さらに悪いことは重なるもんで、検問を抜けて10分ほどの
ところで、橋が土砂崩れで崩壊していた。ごく最近崩れたようで、車はおろか徒歩ですら通れない完全なる通行
止め。2時間ほど待たされ、ようやく人が通れる程の鉄筋が渡された。
 ランクルは通れないのでここで金を払ってお別れ、全ての荷物を持っていざ鉄筋の柱に足をかける。


 ゴトンッ


 テコの原理で向こう側が浮きました。そのまま全体重乗せてたら間違いなく
谷底に真っ逆さまですね。


 ・・・


 
もーちょっとしっかり工事しろよオメーラ!仮の道とはいえ!殺す気か!


 おっと、いつも温厚な僕ですが、最近の度重なる不幸に少々取り乱してしまいました。何しろ未だイミグレという
最大最強のボスが待っているので、興奮と緊張でナーバスになっているようです。

 おそるおそる鉄筋を渡り、向こう岸で仕方なくまたタクシーをシェアしてダムまで向かう。とんでもない悪路を
30分ほど走り、ようやくようやくダムの町に到着。ここで昼飯休憩、チベットで最後の食事はやっぱりトゥクパ、
しかしイミグレが待っていることが頭にひっかかり、あまり味わう余裕がない。
 食事が終わると、ダーシーがなにやら両替商を連れてきて両替を始めた。「チベット側のほうがレートがずいぶん
いいから、4n8も両替しておくといいよ」と親切にアドバイスをくれながら、おもむろに重たそうなカバンからお金を
取り出した。

 ドスンッ

 
ドスンッ

 
ドスンッ

 ・・・すさまじい量のお金が小さな食堂で飛び交っております。ここにあるお金で、この食堂くらい建つんじゃない
でしょうか。そりゃこんだけ両替するならレートも良くしてくれるやろ。
 あまりガン見しても悪いかなーと思いつつ札束の量を確認すると・・・

 
150万円分くらいありますね。この人、もしかしてすごい実業家なのでは?そしてもう一人の同乗者
のおっちゃんも同じ額くらいを両替。マネーベルトに札束をぶちこんで腰に巻いていたが、ものすごく重そうだ。
 僕は運のいいことに残った中国元100元(約1,600円)ほどを同じく高レートで両替してもらえたが、150万円
の後に両替するのは何だかちょっと
恥ずかしかった

 さて、全ての用事が済み、いよいよイミグレへ。10人ほどの列に並びながら、いろいろな質問に対する答えを
あらかじめシミュレーションしておく。
 そしていよいよ順番が回ってきた。最後のボスだ、かかってこんかい!


 係員:「再見(またね)!」


 ・・・
無事出国しました。うーん、なんか素直に喜べない・・・


 こうして中国公安に翻弄されながらのドタバタチベット脱出劇は無事幕を閉じたのであります。疲れた・・・。
 今年じゃなかったらこんな苦労は必要なかったんやろうか?でも、いいように考えれば今年だったからこそこんな
稀有な経験が出来たんやなぁ。なかなか貴重な体験だったな、西チベットに始まりラサ密入境から脱出。あての
ない放浪旅行とはいえ、戦時中の場所を除けば大体どこでも行けるこの時代で、「行けるかどうか」のハラハラが
味わえるなんてそうそうないもんね。
 でも、もうお腹いっぱいハラハラしたので、そろそろ楽園ネパールで、安心で楽ちんな旅に戻りますか!



    ↑ギャンツェの町。チベットの美しい青い空は一生忘れません



TOP PAGE / BACK
 

COPYRIGHT (C) 2008- Traveler's high ALL RIGHTS RESERVED