+ チベット@ 楽しきラサ観光 (2008.10.05-2008.10.14)
 太陽が眩しい!空が青い!あぁ幸せだ・・・歩いているだけで幸せ・・・

 西チベット入境失敗という苦い思い出があるだけに、遂にチベットの地を踏めたことは感慨もひとしお。以前は
「どうせラサなんて観光地化されてて大都会なんでしょ」と思っていたが、実際に来てみると、確かに都会は都会
だが、人々の中には未だに宗教が生きていて、何十年も前から変わらないんであろう町の雰囲気が感じられる
非常に魅力的な都市だった。

 まずラサといえばポタラ宮。ダライラマがかつてチベットに住むことを許されていた時、住んでいた宮殿である。
現在ダライラマ14世は中国政府の弾圧に合ってインドのダラムサラに亡命中なのは有名な話であるが、宮殿内
にはダライラマ14世が住んでいた部屋や説法を行った場所、また歴代ダライラマの像が奉られており、お墓にも
なっているため、全てのチベット人にとってポタラ宮を参拝することは人生最大の至福の1つである。

 ポタラ宮は前日予約制のため、前日に新チベットチームの相棒ミヨコ様と共に予約に行く。ポタラ宮は宿泊してい
る宿から徒歩わずか10分。すぐにその姿を現した。




 うーんカッコいい!白とエンジ色が空の青に映えます。

 翌日、ポタラ宮内部へ。ポタラ宮は外からの図が一番見ごたえがある、と聞いていましたが、内部もなかなかの
モノでした。1,000室あると言われる部屋の全てを見れるわけではないけど、あらゆる部屋の細部までこだわり
抜いた壁画や柱の紋様は見事。そして住んだら確実に迷子になるほど広い。
 歴代ダライラマのお墓の前ではチベタンたちが熱心に祈りを捧げていた。彼らは喜捨(寄付)にお金を惜しまず、
バンバン1元札を投げ入れる。
 入場料がチベタン1元なのに対して観光客が100元なのはやりすぎだが、漢民族もどうやら同額払っているみた
いだし、なにより100元払うだけの価値がある素晴らしい宮殿だった。

 ただでさえ標高3,500mあるラサで何度も階段を上り下りさせられた僕らは、フラフラになって近くの洞窟カフェ
へ。ここはポタラ宮の真隣にある、岩をくり抜いた洞窟にあるカフェ。チベタン風うどんのトゥクパやチベタン風カレー
ライスのシャムデが非常においしく、またチベタンたちは観察していて全く飽きない。物乞いがひっきりなしにやって
きてはお金や食べ物をねだる。ねだられた方のチベタンはためらうことなく彼の食べかけのトゥクパを与える。まるで
昔からの知り合いのようだが、彼らはたまたまそこに居合わせただけなのである。

 中国の他の都市と比べても物乞いの数が圧倒的に多いラサ。チベタンたちはやはり苦しい生活を強いられている
のだろう。チベットは標高が高すぎて農業には適さない。さらに周りを中国に囲まれて、食料と現金の調達は困難
だろう。加えて今年は3月にフリーチベットのデモがあり7月にオリンピックがあり、中国政府はことさら観光客が
チベットに来ることを嫌った。観光収入が減ればチベタンたちの収入を直撃する。
 しかし、チベタンの中にも裕福な人はいる。各地から巡礼に来た彼らは物乞いに喜捨することを全くためらわない。
こうしてチベタンたちの生活はうまく回っているんだろうが、さらに生活が向上することを祈るばかりである。

 ラサでは更にいくつかの寺院に行った。ラサの中心地にあり、ポタラ宮と並んで巡礼客で埋め尽くされるジョカン寺。
ジョカンの周りにはいくつも小さなお堂があり、そこも探索。また、チベット仏教でも少数派の宗派が勤行する密教寺
もいくつか見て回った。ジョカンはさすがに大きな寺で、チベタンたちが行列を作って寺の奥にある釈迦像に祈りを
捧げる姿は圧巻。ほとんど宗教を感じることのない日本人にとってはなおさら驚きが大きい。一方、密教寺は観光客
がほとんどおらず、奥の部屋で仏像を眺めながら僧の読経を聞くのは非常にリラックスできる時間だった。

 少し遠出をして、色拉寺というお寺にも行ってきた。少し町外れにあるが、ある宗派(名前忘れた)には最大のお寺
である。その寺の裏に山があり、軽い散歩にいいと聞いていたので、早速登ることに。
 相棒は自転車旅行者のケン兄。自転車と電車で東からやってきたケン兄は、これから自転車でヒマラヤを越えて
ネパールへと向かうオトコマエである。彼と2人で登り始めたが、何気にかなり激しい上り坂。しかも足場は悪く、僕
はまさかこんなトレッキングをするとは思ってなかったので、前日買ったチベタン民族服を着ており、こいつがまた
動きにくい&暑いことこの上ない。ヒーヒーいいながら登ること1時間半、色拉寺の真上にある別館のような建物
に辿り着いた。チベタンの親子が2人で住むこの小さなお寺は、時代に取り残されたように静かで厳かな空間だった。

 ラサにはやはりほとんど個人旅行者がいなかったが、僕が泊まっていたホテル「ヤクホテル」のドミトリーには
何人か客がいた。彼らのほとんどが日本人で、たまに中国人と韓国人が来る程度。やはり西洋人の個人旅行者
にとって今年のチベットのハードルはかなり高いらしい。そこで会った日本人たちも、なかなか旅のベテラン揃い
で、喋っていて飽きることがなかった。一緒に中華料理をシェアしたり、チベタン喫茶「茶館」でお茶したり、これまた
自転車旅行者のI島さんが日本料理をふるまってくれたり、まぁ
ほとんど飲み食いしてばっかりだが
非常に有意義な時間を過ごした。
 ある日は買い物に1日時間を費やした。ジョカン寺の周りはバルコルと呼ばれる土産物屋街で、ありきたりな服や
布やアクセサリーから、ホンモノの僧も買うような仏具や仏画、どーみてもガラクタなものまで、何でも売っている
楽しい場所。チベタンファッションに一目置いている僕は、ここぞとばかりに買い物しまくった。東チベットのカム地方
の伝統衣装チュパ、チベタン住居の軒先に必ずかかってあるすだれ、指輪に数珠、シンギングボウル、タルチョ・・・
帰ったらただちにチベット喫茶を開けるくらいのアイテムを揃えた。
 またある日は久々に夜、ちょっとオシャレな飲み屋にお酒を飲みに行った。といっても宿から徒歩1分。同じドミの
大学院生旅行者・レオ君とビールを飲んで喋っていると、奥の座敷で飲んでいたチベタン軍団に誘われ、一緒に
飲むことに。男女混合のグループだったが、多くのチベタンと違って非常に育ちが良さそう。それもそのはず、彼ら
は警察官やチャイナテレコム社員や弁護士など、エリート軍団だった。しかし飲み方はエリートとは程遠く、とんでも
なく飲みまくる。ビールの追加は20本単位、エンドレスで飲み続け、超カタコトの英語と中国語で会話しているのだ
が酔っ払って解読不能。結局夜中の2時すぎまで飲んだ挙句、全ておごってくれて、僕らが去った後も飲み続けて
いた。みんなベロベロだったが、明日の仕事は大丈夫なんやろか。
特に警察官の奴

 ラサ滞在も長くなってきたので、近くの見所まで足を伸ばすことにした。僕が行ったのは、ラサからバスで4時間
ほどのテルドム温泉、その近くのディクンティゴンパ。チベタンたちにとっても巡礼&湯治の場として有名である。
 ここには一緒に飲み倒したレオ君と、カシュガルで会って以来再会したアイキョウ君と3人で行った。アイキョウ君
は昔チベットチームに誘ったのだが、「チベットは無理でしょ」と諦めていた青年である。それがたまたま、僕が
トルファンで出会ったアツシさんとどこかで一緒になり、僕がチベット入境に成功した旨をアツシさん経由で聞いて、
同じ方法でやってきたのである。いやー世界は狭い。
 テルドム温泉は標高4,300mのところにあり、かつ山の斜面に沿って町が構成されている、何とも
体に負担
のかかる温泉
である。この温泉郷は、外から見る分には山の斜面に立てられた理想郷のような場所で、何千
ものタルチョがはためき雰囲気抜群なのだが、生活するとなると10秒歩くだけで息が切れるので大変。温泉は村の
一番下にあり、温泉自体は日本の温泉のように快適な温度で素晴らしかったが、帰りに宿まで帰るのはかなりの
苦行である。僕は息も絶え絶えになりながら温泉から戻ると、レオ君はまだ明るい18時前に夕飯も食わずに
就寝
していた

 伝統的なチベタンの暮らしを見れるという点でとても興味深い村なのだが、標高が高すぎる以外にも、道が狭くて
ゴミだらけ、トイレは村に1つしかなくこれまたすさまじく汚い、宿はこれまた汚くて日当たりも悪い、レストランは1件
しかなくてトゥクパかシャムデしかない、ちょっと物価も高い、夜は驚異的に寒い、などなど長期滞在に必要な要素
1つも持っていないため、僕らも1泊だけで翌日出発することにした。

 たまたま西洋人がチャーターしていたランクルのヒッチハイクに成功し、近くのディクンティゴンパへ。近くといって
も10キロ以上はあったから、ヒッチできなかったらと思うとぞっとする。前日は宿のコンディションがあまりに悪く、
泊まるだけで体力が低下するという予定外の事態だったが、今日は調子がいい。
 ディクンティゴンパへは、「鳥葬」を見るためにやってきた。鳥葬とは文字のとおり、葬式の方法の1つで、鳥に遺体
を食べさせるというものである。チベットでは伝統的にこの方法で葬式を行っている。現在では火葬も増えてきている
らしいが、火葬のための燃料が乏しい上に、チベット仏教には「死後の肉体は魂の抜けたただのヌケガラである」と
いう思想があるため、未だに鳥葬は普通に見ることができる。
 遺体が運ばれてくると、大きな台の上に置かれる。斧やなたを持った職人たちがそれらを振り下ろし、鳥達が食べ
やすいように細かくしていく。その間、鳥(ハゲタカ)は台を取り囲むように周りに集まるが、合図があるまでは決して
飛びつかない。
 全て細かく砕かれた後、職人たちがその場を離れ、合図がある。するとハゲタカたちは一斉に台に飛び掛かかり、
「ギャース」という甲高い声を上げながらひたすら肉を啄ばむのである。

 近親者でない僕らは、間近でその様子を見ることはできなかったが、赤い肉片や骨の砕ける音、ハゲタカの鳴き
声は鮮明に頭に残っている。鳥葬場は眺めと風通しのよい山の上に作られることが多い。黄土色の山と果てしなく
青い空に真っ白な雲、そして無数にはためく5色のタルチョ、そこを何百頭のヤクたちが歩いていき、ハゲタカたち
は無心に魂の抜けた人間の殻を啄ばむ・・・。現実感のないファンタジー世界のような景色の中で、「死」を強く現実
に感じるという今までに無い経験。自分がどこにいるのか一瞬分からなくなる不思議な空間だった。

 こうしてラサ近郊を楽しみ尽くした僕は、ビザの期限も迫ってきたので、名残惜しいかなネパールへ向けて出発
することにした。途中にあるシガツェとギャンツェに立ち寄り、シガツェからバスでネパール国境まで向かう。これで
住み心地のよかったラサともお別れ、仲良くなった旅行者たちとも涙の別れを交わし、一路西へ向かう。

 しかしこの時、まさか
またラサに戻ってくるハメになるとは全く想像していなかったのである・・・



    ↑こんな夢物語のような場所に鳥葬場がある



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