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+ ロシアD rainbow gathering (2008.08.07-12)
 rainbow gatheringというイベントがある。
 実は僕も詳しくは知らないが、世界中から人が集まり、電気やガスや店などの人口施設が一切ない山の中で
1ヶ月間の共同生活を送り、自然との共存を目指すというものである。参加資格や入場料などは一切なく、自然
の中で生活したい人であれば誰でも参加できる。食事は1日2回、参加者のボランティアによって調理された
料理が提供される。音楽も電子音は一切なく、太鼓や笛などの生音楽器でフリーセッションを楽しむ。
 1ヶ月の生活が終わるとセレモニーが開かれ、その後別の国・別の場所に移動して同様の集まりを行う。そうし
て世界中のどこかで誰かによってgatheringは続けられるらしい。

 クラトさん曰く、「すっぽんぽんの人たちがふつーにウロウロしてて、まじで原始時代かと思う」とのこと。

 日食会場に着く前、アントンに会った時に「rainbow gatheringも近くでやってるらしいよ」という話は聞いていた
し、そもそも日食パーティーがある場合には近くで行われることが多いと聞いていたので、チャンスがあれば日食
後に参加してみたいなぁと思っていた。

 KHAN ALTAYが終わってもだらだらとキャンプを続けていた僕を含めた日本人たちは、レインボーに行きたい
なぁと言いながらなかなか情報が集まらなかったりジープが高かったり一緒に行くと言ってた人がやっぱり別の
ところに行こうかなぁと言い出したりで、なかなか出発できないでいた。
 結局、だらだらしすぎたせいで時間の無くなった皆さんは帰ることになり、クラトさん、サチさんと3人でジープ
と交渉してなんとかそれなりの値段で会場まで歩くことなく連れて行ってもらえることになった。
 「歩くことなく」というのは結構重要で、実はレインボー会場には車で入れず、10kmの距離を歩いて登らなけ
ればならないと聞いていた。しかし今の荷物に食料を買い込んで10km登るというのはかなりキツイ。夜になる
と道も不安やし、最悪途中でテント張るしかないか、という話もしていたほどである。

 途中寄った村で食料を買い込み、冷たいスプライトに感動しながら会場に着いたときはもう既に夜だった。

 次の日、ベストポジションを見つけてテントを張り、会場中を見て歩いた。山の中腹ではあるがなだらかな平地
が広がっていて、真ん中にレインボーフラッグが立っている。近くには川はないが泉があり、飲み水には困らな
い。周りの山々はKHAN ALTAYの会場よりはなだらかで、緑が豊かで気持ちいい。
 ティピの近くにはキッチンがあり、どでかい鍋がいくつかあって、これでみんなの分の料理を作るんだろう。
テントの数は想像以上に少ないが、聞いた話だと多いときはかなりの人数だったらしい。既に多くの人が会場を
去ったようである。実はこの日が公には今回のレインボー最終日で、大人数での盛大な閉幕セレモニー的なもの
が見れるかなと思っていたのだが、多分会場には200人ほどしかいなかったと思う。

 そうこうしながらのんびりと一日を過ごすと、夕方に奇妙な声が聞こえ始める。

 「POW-WOW!」

 パウワウ、と言う掛け声。これは食事の合図で、この声を聞くと自分もまたパウワウと叫ぶ。遠くにテントを張っ
ている人にも聞こえるようにするためだ。
 人々は「パウワウ!」と叫びながらマイ皿とマイスプーンを持ち、中央のレインボーフラッグ付近に集まる。
みんなが集まるまで、参加者たちは喋ったり太鼓を叩いたりヨガをしたり、好き勝手やっている。僕らは数少ない
東洋人だったため、みんなめずらしいのかよく喋りかけられた。みんなとても気さくでピースな人ばかりで、大い
に歓迎してくれた。

 人々が集まると、円になって手をつなぎ、目をつむって「オーーーンーーー」と口ずさみながら祈りを捧げる。
仏教の言葉であることは分かるが、詳しい意味はよくわからない。おそらく食事できることに感謝をしているんだ
ろう。静寂に包まれた中で「オン」の言葉だけが宙に響き、不思議な心地よさが体を包む。
 そうして全員が満足するまで祈った後、一度手を上に掲げ、下ろして大地にひれ伏して、食前の祈りが終わる。
それから全員が中央に集まり、トーキングスティックと呼ばれる杖を持った人が何かを語り始める。
 トーキングスティックは参加者なら誰でも持てるようで、要するに誰もが何かしらを発言できるということらしい。
ほとんど全員がロシア語で喋っていたのでなんと言っているか分からんかったけど、なにやら自然の大切さを
説いたり、レインボーの素晴らしさを語っているような気がした。

 それが終わってようやく食事の時間になる。集合してからかれこれ1時間は経っている。
 食事はだいたいベジタブルスープ。それにちょっとしたパンっぽいものやスイーツが配られることもあった。味は
まぁまぁだが、タダで食べれるので文句は言えない。この食事の時「マジックハット!」と叫びながら帽子を持っ
て食事中の人々の周りを回る人がいて、これは食事に対する、そしてレインボーの運営に対する寄付を募るもの
であるらしい。僕もいくらか寄付をしておいた。
 食事を注いでもらう様子は、地面に座って「ありがたや」という感じで食器を差し出すため、さながら
戦時中の配給のようである。



 食事が終わると、テントに帰る人やその場で喋る人、楽器のセッションをする人など様々。僕らはたいてい日が
沈むと寒すぎてその場にいれなかったため、テントに戻って焚き火を囲って過ごしていた。

 僕らにとって初日のパウワウは、公にはレインボー最終日のパウワウであり、100人以上が集まってかなり
大きな輪となっていた。その後、日が暮れてから閉幕のセレモニーがあると聞いていたが、夜が更けても特に
音は聞こえてこず、寒いのもあって寝てしまった。

 レインボー閉幕後も、まだ滞在したい人は自由に滞在できる。僕らもすぐに出て行くのは惜しかったため、しば
らくここで生活を続けることにした。
 日々の生活はやはり水汲みから始まり、のんびりと朝食を準備して食べたり一日二回のパウワウの時にふら
ふらとレインボーの旗に集まったり、昼寝したり周囲を散策したりたまにジャンベを叩いたり、KHAN ALTAYの時
以上のプリミティブな生活を楽しんでいた。
 KHAN ALTAYで出会ったマケドニア人のブディム&アルディアン、ロシア人のターニャも途中から合流し、一緒
に飯を食ったりしゃべったりして過ごした。
 ある日、彼らに誘われて近くの山まで登った。のんびり生活に慣れてしまった体に標高の高い場所での山登り
はなかなかしんどかったが、頂上からの景色は素晴らしいものだった。このあたりの山はまだ若くて山が形成さ
れる過程でいうとかなり初期段階らしく、木はおろか草もほとんど生えていなくて、岩と岩にこびりついた苔のよう
な植物だけでできていた。その苔が太陽光を浴びて蛍光緑や蛍光黄色に輝き、同じ山でも今まで見たことのない
景色を楽しむことができた。

 食事はパウワウだけでは足りないので、村で買ってきた野菜や果物を中心に、クラトさんたちの道具を使って
自炊していた。ある日、買っておいた貴重な鶏肉を使って照り焼きチキン丼を作った(僕はあまり何もしてないが)。
3人で2つ分のお椀を回し食い。今までの食事も、自然の中で自分達で料理したものはいつでも美味しかったが、
その照り焼きチキン丼は、今まで食べた食事の記憶が吹っ飛んでしまうほどの格別の味だった。
 やはりシンプルな生活を続けているとシンプルな事で感動する。あの時の味はあの時の光景とリンクしていつま
でも僕の記憶に残り続けるだろう。
醤油万歳

 昼間は暖かくて過ごしやすいため、クラトさんが言ったように
裸族が出現していた。
 普通にその辺の草むらに素っ裸で寝ている。これだけ堂々と何人も裸でいると、もはや全くエロくない。僕も
シャワーを浴びた時はロシア人たちに混ざって素っ裸でウロウロしていた。もちろんシャワーと言っても仕切りなど
存在しない。もはやあの場にいると、
服を着ている方が違和感を感じるほどであった。


 さて、そうこうしているうちにいよいよ僕のロシアビザの期限が迫ってきて、ぼちぼち明日にでも出発しますか、と
いうことになった。
 いよいよ楽しかったこの生活ともお別れかー、と思って翌朝目を覚ましてみると・・・

 
雨。

 ・・・なぜか肝心な時に限っていつも雨が降る。いや、日食の時は雨じゃなかったからいいけどさ。。

 雨だと、テントをたたむのが非常に厄介である。当然荷物もずぶ濡れになる。そして、寒い。クラトさんたちと
どーしますかねぇーといいながら昼までウダウダしていた。
 だが、ウダウダしてても雨は止まない。そもそも僕のロシアビザは恐らく今日出発しないと危ない。ということで、
気合を入れて出発することにした。

 すると、この選択が最高の結果をもたらす。雨の中、会場を後にしていると、ロシア人の女の子が声をかけて
きて、「私も下山するから一緒に行こう」ということに。この女性・ヌリアは医者で、これからモスクワ方面に帰る
という。
 全ての荷物を背負い、行きは車で来た道を歩いて8kmほどかけて降りていく。下りとはいえ、20kgはあるだろう
荷物を持って雨の中8km歩くのはかなりの苦行だった。だが、途中から日が差してきて景色がよくなり、何とか
下山を果たした。
 そこへたまたま通りかかったバスが、電車のある町バルナウル行きだった。何というタイミング!そして
バルナウルに着いたのは夜だったが、ヌリアの友達のアパートに泊まらせてもらえることに!
 あの時間に思い切って出ていなければ、ヌリアに会うこともなかっただろうし、安くバルナウルまでバスで行ける
こともなかったかもしれない(実際、タクシーしかないかと思っていた)。そして彼女の友達バディムは次の日、僕ら
の次なる移動を大いに助けてくれた。

 日食から続いているこの流れ、本当に人生はうまくできている。昔読んだ小説「アルケミスト」ではないが、本当に
望むものは、心から望めば必ず手に入るんだな、と実感した。

 そうしていよいよクラトさん・サチさんとの別れ。彼らはこの流れにもう少し乗っかろうと、ヌリアと一緒に
ヒッチハイクでモスクワまで向かうことに。最後の食事は、バルナウル駅前のレストランで久々の贅沢な食事に
ビールで乾杯。泣きそうなほどうまかった。いやーやっぱ
文明もいいね、たまには。

 こんなにも長い間、共に行動した旅人は初めてだった。二人がいなかったらここまでロシアを楽しめなかった
ことは間違いない。本当にお世話になって、大感謝です!

 そして僕はビザ切れギリギリで次なる国・カザフスタンの大都市アルマティへ2泊3日の移動が始まった。
 これで旅の第一章は終わり。特に期待してない国・カザフスタンでいったい何が起こるのか、ワクワクしながら
これまでの電車旅と同様にパンと缶詰とフルーツを買い込んで、電車へと乗り込んだ。



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