+ キルギスタンA オシュ、そして中国へ (2008.08.31-09.05) |
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8月31日はキルギスタンの独立記念日。祝日であるこの日はいろいろな催し物が開催され、特に首都ビシュケク はお祭りムードとなるらしい。 その中でも特筆すべきはスタジアムで開催されるホースレース。ルールはよく分からないが、人々が馬で駆け つつ、切断された羊の頭をラグビーボールのようにパスし合いながらゴールを目指すというワイルドな催しである。 まさに遊牧民ならではのお祭り、これは是非見ておかねばいかんだろうということで、同じ宿の西洋人と共に スタジアムへ。 が、しかし。 中止。いや、正確には、前倒し。 何でも数日前に起きたキルギスの航空会社の飛行機事故で数十名が亡くなったため、その追悼の意味で開催 されないとのことだが、係員によると「今年は昨日やったよ」とのこと。 ・・・本当に追悼するんなら、前倒しでやるなよ。うーん、これは世界の追悼常識からいってオカシイと 思うのだが・・・。 ということで、このホースレースに合わせてわざわざビシュケクに帰ってきたが一瞬にして目的を見失ったので、 とりあえず飲むことにした。そして夜はキルギス人の子に聞いたライブハウスに散々迷いながら1時間ほど歩い て行ってみたが、あまりにヘヴィーメタルすぎたため全員入るのを辞めた。 キルギス版スリップノットのようなにーちゃんたち。キルギスとヘビメタにーちゃん、うーん似合わん。 とはいえ、やはり祝日なので街には浮かれた雰囲気が漂い、夜は人で溢れてかなり騒がしかったのだが、 おかげで警察官も多数動員されており、僕は2度も職質に合い、1度は車の中まで連れ込まれ、あからさまに 賄賂を要求された。もちろん払っていないが、キルギスの警察が腐っているというウワサは間違っていないようだ、 そしてその警察が街にわんさかいるような日は旅行者にとっては厄介な1日だった。 さて、ビシュケク滞在もそろそろ飽きてきたため、ぼちぼち中国に向けて発つことにした。まず目指すは キルギス南部、第二の町オシュ。ウズベキスタンに向かうスイス人のニコもたまたま同じ日にオシュに向かうという ので、共に発つことに。中国ビザの取れないデイビッドとはここでお別れになるが、またきっとインドで会えるだろう。 彼ほど長く一緒に行動した西洋人は始めてだが、楽しかったよ! キルギスの移動手段は目的地が同じ人とタクシーをシェアするシェアタクシーがメジャーで、我々も夜行シェア タクシーを使ってオシュまで約12時間移動した。同乗の兄妹は兄が警察官とは思えないほどいい奴らだったが、 オシュまでは大半が山道なので車内が揺れまくってかなわん。寝たと思ってもグワングワン揺らされるのですぐに 目が覚める。お陰で車の運転で事故る夢を見、一瞬夢か現実か分からずにうなされながら、ムチ打ち気味で朝に オシュに着いた。 オシュは2泊したが、ウズベキスタンが近いこともあってか、より中央アジアらしい雰囲気が強かった。多くの男性 がイスラム帽をかぶり、女性はスカーフで頭を覆っている。だが、やはり売店の軒先には「ウォッカショット(ウォッカ のボトルと50mmカップが置いてあり、パカッと1杯やって去っていく飲み方)」があり、さらに前日からラマダン (断食月)が始まったのだが、結構昼間もレストランや道端でみんな普通にメシ食ってた。何%の人がラマダンを 実行しているのか知りたい。 そしてビシュケクで会った西洋人の何人かに再会し、うまいシャシリクを食いまくった。みんなで食べるメシは やっぱ一人より何倍もうまい。 オシュから中国のカシュガルへ抜けるルートは、標高4,000mほどの「イルケシュタム峠」を越えるのだが、途中 7,000m級の山々が連なるタジキスタンのパミール高原の眺望が素晴らしいことで有名なルートである。僕もこの パミール高原の景色を堪能したかったので、途中サリタシュという街で1泊する方法を選択した。 ちなみに国境までは公共交通機関がないため、旅行会社のアレンジで行くか、サリタシュまでバスかタクシーで 行ってそこからヒッチハイクもしくはタクシーを捕まえるしかない。旅行会社のチャーター車が一番楽で確実なの だが、このときはシーズンの終わりかけでうまく人が集まらず、また料金が高いこともあり、結局はビシュケクで 会ったフランス人のマリーと2人で自力で行ってみることにした。 しかもこの日、僕はなぜかラマダンに挑戦してみることになった。いや、ニコやマリーとの話の流れで、 ノリで1日体験してみるだけのことなので、ラマダンと言ってはイスラム教に対して失礼に当たるだろう。要するに 断食ゲームのようなものだ。一日だけ日の出から日の入りまで飲食をしなかったら、多少はラマダン中の人の 気持ちが分かるかもしれない。それに、サリタシュまでの移動ならずっと車内だし、体力の消耗も誘惑も少なそう である。 断食当日。まずラマダンの基本として、日の出前に軽い食事と十分な水分補給をし、またゆっくりと寝ることが大切 である。それは知っていたので、がんばって朝5時に起きてみる。すると、前日ウォッカを飲みすぎたため二日酔い。 なにも食べたくない。前日に酒を飲んでる時点でラマダンの資格なしなのだが、とにかく水分だけガバガバ と補給し、再び眠りに着く。 そして9時頃起床。二日酔いは収まったが、すでに腹が減っている。これはマズイ、とりあえず昼前に 出発しないといけないので荷物をまとめ、余った時間はとにかく寝ようとする。その辺で買ってきたピロシキを 「うめーなー」と言いながらバクバク食っているニコが憎らしい。 マリーの準備が出来て、出発。ビシュケクと同じようにシェアタクシー乗り場で交渉。マリーは見た目からして 自己主張の強そうなフランス人女性なのだが、実際、想像以上に自己主張が強い。値段交渉は頑なにロンプラ に載っている価格まで下げようとする。僕なんかは「まー300円くらいいーんじゃないの?」というスタンスなのだが、 それを言うと絶交されそうなので、「まぁまぁ」と運転手とマリーの間を取り持ち、お互い納得の価格で手を 打たせた。 出発直前になって、後部座席は3人の約束のはずが4人になり、またマリーはカリカリしていたが、どうにも ならんので仕方なく出発。僕はデカいという理由で助手席だったので楽チンだったが、問題は腹が減ったこと である。そして喉も渇いた。この日は日差しがあると汗ばむくらいの陽気で、車内の温度はかなり高い。乾燥して いるため急速に体内から水分が出て行くのを感じる。 運転手を観察していたが、本当に食事どころか水の一滴も飲まない。うーんスゴイ、これは負けてられん。と つまらん意地を張っていたが、一番ツラかったのは夕方16時くらい。いい加減に喉の渇きがピークに達し、5分に 一度は舌で唇を湿らす。ここまで喉が渇くと、もはや空腹は感じなくなるようだ。とにかく飲みたい。お、おらに水を・・ そうこうしてるうちに、前方にすばらしいパミール高原の山々が見えたかと思うと、サリタシュに到着。さ、寒い。 ここはもう標高3,000mを越えるので、非常に寒い。そして、あまりに何も無い。これを町と呼んでいいものだろうか、 どっちかというとタダの「通り」である。 宿がまたどーしょーもなく寒くて朽ち果てており、しかもロンプラに書かれてある料金の倍になっていたため、 マリーはまたブツブツ言っていたが、1泊だけやしガマンするしかない。僕はとにかく水さえ飲めればあとは どーでもいい。 19時30分、ラマダンの終わりが近づいてきた。マリーと町に1軒しかない食堂にて、マンティ(しかない)とビール で乾杯! う、 ウメー!!!!! ビール超うまいっす!マンティも、なんでもうまいっす!ああ、この至福感を味わうためにイスラム教徒は ラマダンをなさるのですね・・・よく分かりました、飲食のありがたさ・・・ 結局ビールなので、やはり間違いなくラマダンの資格なしなのだが、それでも確かに食べられることの、 そして飲めることのありがたみが分かるという点で、なかなか有意義な1日断食体験であった。皆さんも機会が あればいかが? さて、この食堂でメシを食ってた警察官とカタコトのロシア語で会話をし、ローカルの人々の優しさに触れられた ことで、朝から調子&機嫌の悪かったマリーにもだんだんと笑顔が戻ってきた。何とか体も暖めたので、明日に 備えて早く就寝。寝袋あってよかった・・・ 翌日はまだ暗い内から表に出てヒッチハイク開始。すると、トラック2台目であっさりつかまり、イルケシュタム まで連れて行ってくれるという! ここで僕は何気なく(というか、後でもめたくないのでいつもするのだが)「いくら?」と聞いてみた。すると運ちゃん は、「そんなこと聞くなよ」という、半分笑い、半分怒ったような表情でこちらを見つめ、親指で「乗りな」というジェス チャーをくれた。そうするとマリーが笑いながらロシア語で「お金なんかいらないわよね!」と言い、僕らは助手席 に飛び乗った。 この時、僕は多少の居心地の悪さと共に、不思議な一体感・高揚感を感じた。ハナからお金のことなど考えても いないドライバーを疑うように「いくら?」と聞いてしまったこと、でもその後すぐのマリーの言葉で全く違う人生を 歩んできた3人が同じベクトルを重ねたこと。ほんの一瞬のヒッチハイクのやり取りだったが、昨日の辛かった 一日を終えてからのいい流れを感じ、すごく満ち足りた気持ちになれた。 あいにく天気が悪く、途中は雪が降るようなコンディションでパミール高原はほとんど見れなかったのだが、荒涼 としたイルケシュタムまでの道のりにどんよりとした雲はよく似合っていて、それはそれで雰囲気があった。しかも 国境が近づくに連れて少しずつ青空が見え始め、何とか最後は少しだけパミールを拝むことができた。ただ、車内 は常に震度6の揺れだった。 運ちゃんは寡黙だったが、とても親切にしてくれ、キルギスタンのイミグレを出るのに時間のかかった僕らをわざ わざ向こう側で待ってくれ、中国側イミグレまで送ってくれた。聞けばウイグル人とのこと、ウイグルががぜん楽しみ になってきた! 旅行会社のチャーター車ではこんな苦労しなくてもいいのだろうが、まさに苦労の分だけ素晴らしい出会いが あり、いい体験を出来た。本当に人生はうまく出来ている。 さようならキルギスタン、また会おう! |
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↑荒涼としたイルケシュタム峠までの道のり |
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