+ 中国F そしてチベットへ・・・ (2008.09.27-10.04) |
|
マージャン大好き小池さん(ランクル運転手)に翻弄されて2日を無駄にし、ついに無念の敗走を余儀なくされた 西チベットチーム(男2人)は、すごすごとカシュガルのいつものホテル・色満賓館に舞い戻った。 しかしここは勝手知ったる食の天国・カシュガル。次の日は、これまで食ってきた数々の名店で存分に舌鼓を 打つ。いつものパオズ、いつものスープ、いつものホイコーロー、いつもの葱爆肉・・・まさかもう一度この料理を 食えるとは思ってなかったよ。なんだか悔しいけど、ウマイ。 この日、FFTを全クリし、ついに心置きなく西チベット挑戦にもピリオドを打つ時が来た。すなわち西チベット チーム解散の日である。 「僕はチベットを諦めきれないから、東に向かってゴルムドからの入境に挑戦するよ。ヒロノブ君はどうする?」と 問うと、「僕はチベットはキッパリ諦めて、予定通りキルギスタンに向かいます!名残惜しいですがここでお別れ しましょう!」とヒロノブ君は答えた。そうか、寂しいけどしょうがない。君のお陰でアーバンでの辛い1週間を乗り 越えることができたよ、決して1週間分の時間と金を無駄にしたとは思わないでほしいな。たとえ ゲームボーイとトランプしかしてないとしても、無駄な時間なんて人生に一秒たりともないよ。きっと。 こうして涙の別れをしたヒロノブ君だったが、彼は実はもともとすごくノセられやすい人だったらしく、 後日メールにてとんでもない進路変更をした報告を受けて笑った。これについてはまた別の日記で。 翌日、僕は昼過ぎのバスで20時間ほどかけてトルファンへ向かった。翌日の昼、ワケの分からん町の端っこで 下ろされる。トルファン行きのバスチケットを買ったと思っている僕は当然そこがトルファンの町外れだと思い、 「なんで町外れで下ろすんじゃい、バスターミナルまで連れてけよ!」と言うが、何やら中国語で「タクシーで行け」 とのこと。ブツクサいいながらタクシーでバスターミナルまで行くと、「トルファンに行きたいのか?」と声がかかる。 「え、トルファンに行きたいっていうか、ここトルファンでしょ?」と聞くと、「違う、ここは××だ(名前忘れた)、 トルファンへはバスで30分かかる」って。そういえばバスチケットを見るとトルファンなんて一言も書いてない。 やられた・・・トルファン直通じゃなかったんや。チケット売り場のオバサン、一言伝えてくれよ・・・ 20時間の移動後で疲れているのに、また乗り合いバスで移動。ようやくトルファンに着き、バスターミナル目の前 の交通賓館にチェックイン。その交通賓館の目の前で超日本語うまいウイグル人が勧誘してきた「1日100元 トルファン近郊ツアー」に即決で申し込む。トルファンの見所はけっこう郊外に点在しており、このツアーに申し込む のが最も効率よく見所を回れると事前に聞いていた。早くチベットに向かいたい僕は、翌日にツアー参加して、 そのまま夜行バスで敦煌に向かうことに。 その日の夜、交通賓館で同じドミだったアツシさんと、彼がツアーで一緒だったマサフミさんの3人で夕飯を食う。 ザ・アウトドア派のアツシさんは、チャリでパキスタンからカラコルムハイウェイを抜け、同じくカシュガルからやって きており、屈強な山男でもある。すでにこの旅で6つほど6,000m級のピークに登頂しており、さらに偶然なことに、 パミール高原のレーニン峰(7,000m峰)を登頂していた時、僕はそのパミール高原を彼方に望みながらキルギス からカシュガルへの道を走っていたことが分かった。不思議な縁である。 ちなみにキルギス編にも書いたように、その日は天候が悪くてパミールがほとんど見えなかった。その時に山中 にいたアツシさんは、あまりの吹雪でついに登頂を諦めたそうだ。いやー無事でよかった。 ザ・横須賀男児のマサフミさんは、逆に東から来てカシュガルに向かうところらしい。このときはすれ違っただけに なったが、彼とは今後、驚異の再会率でたびたび顔を合わせることになる。 翌日のトルファン1日観光ツアーでは主要な見所をワゴン車で周り、自分の入りたい場所だけ入場するシステム だった。僕は最も有名なベゼクリク千窟洞とカレーズ博物館だけ入場した。ベゼクリク千窟洞は精巧な仏像や壁画 があったことで有名な仏教遺跡だが、世界大戦中の日本軍による中国侵略時にかなり破壊されたそうで、なんだか 日本人には肩身の狭い場所である。だが中には一部壁画がはっきりと残っており、昔の仏教美術のレベルの高さ を感じられる。ちなみに何世紀頃のものだとか本当に千の石窟があったのかだとか、そういうことは一切覚えて いない。みんなガイドブックを読んでね。 この千窟洞が、中は破壊されたとはいえしっかりと原型をとどめている理由は、ここの気候が関係しているらしい。 トルファン盆地は、最低地点が標高マイナス150mと海抜よりずいぶん低い。さらに超内陸型気候なので、1年を 通してほとんど雨が降らず乾燥しており、侵食を免れたそうな。そして内陸の盆地は、日本の京都や山梨のように 夏の強烈な暑さが特徴である。ベゼクリクのすぐ近くにもう一つの観光地・火焔山があるが、これは西遊記に出てく る燃えさかる山のモデルになったと言われるほど夏の暑さは激烈らしい。ちゃんと火焔山の近くには孫悟空の像が 立っていた。 このようにほとんど雨の降らない環境にあってトルファンの町が昔から存在できたのは、昔の人々が作った緻密 な地下水路のおかげである。これが「カレーズ」と呼ばれるものである。数百年前に掘られた地下水脈の大部分 が今でも現役で使われているらしい。 僕は昔、このカレーズに関する番組をテレビで見て感動したので、是非実物を見てみたいと思っていたのだが、 ツアーで連れて行かれたのは博物館で、水を汲む人の実物大のフィギュアやミニチュア模型、一部実際の水路 は見れたものの、実際に人々が生活の中で利用しているシーンを見ることができず期待はずれだった。昼食を とったレストランの近くで実際に水路があちこちに流れているのを見て、「ああ今も使われているんだろうな」 と想像するのがやっとであった。 その他はもうどこへ行ったのか覚えていない。とりあえずこのツアーには日本人が多く、しかも短期旅行の人 が結構いて、久しぶりに日本文化に触れ合うことができた。 ツアーは予定より時間がかかり、敦煌行きのバスが出発するギリギリにバスターミナルに到着。そのまま飛び 乗り、翌日昼近くに敦煌着。たまたま、夕飯を共にしたアツシさんとツアーで一緒だったミヨコさんが同じバスだった ので、3人で昼飯を食す。するとそこのレストランのオーナー隋さんが日本語ペラペラで超いい人で、砂漠の星空 ツアーを行っていると聞く。そう、敦煌といえば砂漠。タクラマカンの西のほうでは見られない奇麗な砂砂漠が、町の 郊外すぐのところに迫っている。砂漠の中の遺跡・バッコウ窟(漢字忘れた)は敦煌随一の見所だが、入場料が 180元(=約2,600円)というべらぼうな値段設定と、そもそもそんなに興味を惹かれないという理由で全く行く つもりがなく、早くチベットに行きたかったので敦煌は1泊もせず夜行バスでそのままゴルムドに行くかと考えて いたのだが・・・。 結局、「敦煌で1泊もしないなんてもったいない」というアツシさんとミヨコさんからの助言(悪魔のささやき)と、 3人でシェアすればけっこう安いという理由もあり、ゴルムド行きは翌日にして砂漠の星空ツアーに参加すること に。するとこれがけっこう充実したツアーだった。 敦煌から少し離れた砂漠は、本当に観光客の姿はゼロ、それどころか生物の気配が全くしないところで、昔 モロッコで見たサハラ砂漠のように完璧な砂砂漠だった。美しい砂丘が地平線まで続き、その向こうに太陽が沈ん でいく。砂丘は思ったよりもずっと高く、頂上で見ようとがんばって登ったが、途中で完全に沈んでしまう。下まで降 りて、みんなでしばらく夕焼け空を眺める。闇が訪れると今度は砂漠のベッドに寝転がって満点の星空を眺める のである。何故か隋さんはフルーツやらツマミをところどころで出してくれる、気遣いのできる男。中国では珍しく 大満足のツアーだった。 思い返せば中国のツアーと言えば、メインの場所は1時間、土産物屋が3時間というツアーや、勝手にお茶の お店に連れて行かれて強引に試飲させられ強制的に買わされそうになるツアーなど、あまり いい思い出がなかった。 翌日、夜行バスでゴルムドへ向かったが、なんとミヨコさんが同行することになった。中国だけを旅しているミヨコ さんは、もともとチベットには行きたかったが、最近会う旅行者が口々に「今は無理」と言っていたのであきらめて いたらしい。そこで「新チベットチーム」のメンバーを募集していた僕はすぐさま「そんなことはないよ可能ですよ、 あきらめずに挑戦すれば必ず道は開けます!」と、1週間粘ったけど西チベットに行けなかったことはあまり 話さずに、しきりに挑戦することを薦めた。その結果、ついに「新チベットチーム」が結成されたのである。 夜行バスは朝の5時頃ゴルムドに着いた。・・・早すぎやろ、もうちょっと遅く着いてくれよ。 寝ぼけながらひとまずそのままゴルムド鉄道駅に向かう。情報では、現在チケットを買うときに全員が身分証の 提示を求められ、外国人はその時点で許可証の有無を問われ、無ければ買えない、とのこと。この時点で僕には どうしようもないのだが、なんとミヨコさんは昔留学していたので中国語ペラペラなのである!運よく身分証の提示 を求められなかったら、うまいこと買えたりして?という期待を抱きながら、ミヨコ様に土下座をして汚い仕事をお願い 申し上げた。 ・・・5分経過。まだ出てこない。外は想像以上に寒くて凍えながら待つ。 ・・・10分経過。まだ出てこない。これはうまくいってるってことか!? ・・・15分後、ついに出てきた! ミヨコ様:「撃沈!」 ・・・やっぱダメですか(涙)。 なんでも、やはり身分証に提示を求められたらしい。でもそれ以前にファーストコンタクトでどうやらバレたっぽい とのこと。中国の鉄道係員あなどれん。 ということで正攻法では無理だったが、2つ情報を得た。1つは、毎朝2便ほどラサ行きがあり、約14時間で硬座 (一番安い席)143元(=約2,200円)であること。もう1つは、なんとか旅遊社ってとこに行けばパーミッションを 作ってもらえる、ということ。これだけでも上々、ひとまず寒すぎるし今日は出発できなさそうだから宿を取る。えらい 歩き回った末に、結局駅前のシャワーもないボロい宿に決定。パオズを食いながら次の作戦を練る。 次なる作戦は、「そのへんの中国人に頼んで代わりに買ってもらう」という作戦。これは結構同じ手を使っている 人が多いみたいで、運がよければ買ってもらえそうだ。しかし問題は、中国人民様たちはほとんど英語を解さない ので、僕では交渉が難しいということ。再びミヨコ様に土下座して交渉をお願い奉る。 しかし、なかなか親切な中国人に当たらず、中にはこっちをおちょくるような輩も出てきたので、ちょっと疲れてきた 僕らはこの作戦を早々と諦め、新たな方法を考えた。それは、昨日情報を得た「なんとか旅遊社」に行ってみる ということ。ミヨコ様がタクシーに聞いてくださり、そこに向かった。しかし・・・閉まってます。今は中国の連休 なので月曜日まで開かないよ、とのこと。一瞬で希望は消えた。 更に諦めない僕らは、人に聞きながらラサ行きのバスがでる場所を探し回った。もともとゴルムドという場所は、 闇バスと呼ばれるラサ行きバスが出ていることから旅行者が集まる場所だった。それが2006年に西蔵鉄道が 開通してゴルムド駅も通ることになってから、バス人気は影を潜めていた。しかし聞いた話では、闇バスは健在 らしい。その情報をもとにバスターミナルへ行き、おっちゃんと交渉。すると、なんと1人1,000元(=16,000円)! 闇バスはもともと違法なもの、途中の検問でひっかかって追い返されても1円たりとも返ってこない。そんなリスクの 高い乗り物に1,000元は高すぎる。しかしおっちゃんは「100%大丈夫」と言い、よほど自信があるのかビタ一文 負けようとしない。 根負けした僕らは、ひとまず保留して駅へ戻ってみる。しかしミヨコさんは1,000元なら行かない感じやし、これ 以上の方法はない。暗礁に乗り上げた僕らは、やや諦めムードに・・・ 「ミヨコ様、僕はもうちょっとだけ中国人民達と切符買ってもらう交渉してみます。ちょっくら中国語教えてくださ い!」どうしても諦めきれない僕は、ダメもとで即席の中国語とジェスチャーを駆使して、ヒマそうに座っていた人の 良さそうな兄ちゃんに「すんません、代わりに切符買ってもらえませんか。外国人は買えないんどす。」とお願い してみた。 すると、何と!快く引き受けてくれた兄ちゃんはカッコよく駅に向かっていった!この時彼を待っていた時間がどれ くらい長く感じたことか。 そわそわそわそわしながら待つこと数分、駅から出てきた彼の手には、念願のラサ行きのチケットが!!ついに 手に入れたぞ!興奮して兄ちゃんに抱きつくが、兄ちゃんはちょっと引いてた。 思いがけず1人目でチケットゲットに成功した僕ら。だが、おそらく駅や車内で外国人とバレたら問題になるだろう。 なにしろパーミッションを出せと言われたら終わりである。そこで、中国人民に見えないこともない僕らは中国人民に より近づくべく、変装グッズを買いに出かけた。目的を持っての買い物は楽しい。何を着たら最も中国人らしいかを 真剣に考えながら服などを物色したが、結局 中国人がよく使っている四角いチェックの袋(通称「人民袋」)のデカいやつを買い、それに詰めれるだけ荷物を詰め ることにした。それから、中国人がよく食べているひまわりの種。電車に乗ったら、ずっと車窓の風景を眺めながら ひたすらひまわりの種を食って14時間過ごす予定である。 全て準備が整い、明日に向けてミヨコ様とカンパイしながら中華料理に舌鼓をうつ。中国本土で食べる中華はきっ とこれで最後にしてみせる! 勝負の翌朝。僕は、より中国人民に近づくべく、3ヶ月伸ばしたヒゲを剃り、髪を水で撫で付けて無理矢理七三分け にし、一番目立たなさそうな黒のレインウェア上下を着込み、荷物をなるべく人民袋に詰め込んで出発した。ミヨコ様 とは目立たないよう別行動にしてある。まだ真っ暗な朝6時、10月のゴルムドは想像以上の寒さで震えがくる。これ はひょっとしたら武者震いかしら。 駅の構内に入るための荷物検査。これが第一にして最大の関門である。先日はトイレを借りるためにお願いすると すんなり通してくれたが、今朝もうまくいくかどうか。 一言もしゃべらず、何食わぬ顔で通り過ぎようとする。すると・・・ 係員:「身分証!」 僕:「・・・(無視)」 係員:「身分証!」 僕:「あー・・・はい?(テンパっている)」 係員:「Where are you from?」 ちーん。お、終わった・・・。何もかもが終わった。これでジ・エンドだ、せっかく買ったチケットも金の無駄に終わり、 チベットには結局行けないんだ・・・ 1秒くらいの間にそんな考えがぐるぐると頭の中を巡った。 しかし次の瞬間、構内の待合室に見慣れた後姿があった。あれはミヨコ様ではないですか!じゃあもしかして、 大丈夫なのか? どっちみち身分証としてパスポートを出すしかないんだからバレるし、開き直って「JAPAN」と答え、パスポートを 渡した。 すると係員、何やら登記書を渡してきて「これに書いてくれ」と言う。言われるがままに名前やパスポート番号など を記入する。すると・・・ 係員:「サンキュー。はい、通っていいよ」 マジデーーー!?いいんですかこんなユルくて?パーミッションとか一切チェックないの? うーん、中国、摩訶不思議な国だ。厳しいかと思ったらユルかったり・・・係員の運にもよるんやろうけど・・・ 構内の待合室で、ミヨコ様とは離れたところに座る。一応中国人っぽくしているつもりだが、なんだか人民袋は かえって目立っている気がする。この辺じゃ流行ってないのかな・・・さっきの係員にだって一瞬でバレ てたし。 そして10分ほど待っていると、さっきの係員が「excuse me」と話しかけてきた。ヤバイ、今度こそパーミッション か!?一瞬で胸の動悸が早くなる。 係員:「おい、あそこに日本の女が座ってるぞ、話しかけてきたらどーだ?ヒヒヒ」 僕:「・・・ああ、サンキュー、後でね、ハハハ・・・」 おまえ、親切なうえにスケベやな。でもさ、心臓に悪いからやめてくれ。 何とかエロ係員を回避した僕は、電車に乗るまでの数分間ひたすら空間と同化するよう努めた。そして いよいよ乗車。2回のチケットチェックでは、僕の完璧な人民ルックに係員も完全に騙されたようで、素通り。ていうか こっちの顔なんか見てないよ奴ら。 電車はさすが、まだ新しいだけあって奇麗。6人掛けコンパートメントだが、おねーちゃん2人と僕の3人しかいなか ったのでのびのび。とは言え、まだまだ油断はできない。ラサの駅に着いて無事町に出られるまでは完全に安心で きない。いつもはフレンドリーに乗客とコミュニケーションを楽しむ僕も、この日ばかりは「寡黙で無愛想な中国人」を 演じて、しょっぱなからずーっと車窓の風景を眺めながらひまわりの種を食していた。本当だって、いつもはもっと フレンドリーなんですって。 いよいよ電車は出発。すぐに車窓の風景は荒涼とした大地を映し出す。前半こそ少しは町や緑があったものの、 標高4,000mを越えるとそこは植物が生きることのできない世界。ひたすら土の大地が広がり、遠くに山が見え、 時たまどこから現れたのか、ヤクが放牧されている。 そのような雄大な景色を見ているとあっという間に時間は経ちそうなもんだが、意外と1時間も経てば満足するもん で、途中からはヒマすぎて日記など書いていた。すると、それを同じコンパートメントのおねーちゃんに見られ、 「中国人じゃないの?」と聞かれたので指でシーッのジェスチャーをしながら「日本人なのよ」と答えた。するとおねー ちゃん、そこら中の人らに言いふらし始めた。いやいやいや、シーッって世界共通のジェスチャーで しょ!?中国では通用しないの? でも、たまに駅員は通るものの干渉はしてこず、どうやらもうバレても追い返されることはなさそうな雰囲気だった。 その後はおねーちゃんたちとムチャクチャな中国語で会話したりしながら夜は更けていき、ついに21時過ぎ、ラサ 駅に到着!!最後の関門・検札を無事通り抜け、おねーちゃんとミヨコさんとタクシーをシェアして、決めておいた 宿「ヤクホテル」へ向かった。暗くてよく見えないが、念願のチベットだ!興奮する気持ちを抑え、ホテルについて チェックイン。ドミトリーのベッドに荷物を置いた瞬間、おもわずミヨコ様とハイタッチ!! こうして遂に念願のチベットに辿り着いた僕。大きな期待を持って訪れたチベットだが、その期待を遥かに上回る 素晴らしい場所であることをこの日から毎日感じることになる。 |
|
↑ラサ行き電車の車窓から |
|
TOP PAGE / BACK |
|
COPYRIGHT (C) 2008- Traveler's high ALL RIGHTS RESERVED |